ゲームによっては、ベストエンド、またはトゥルーエンドというシステムが実装されている。
それらの意味はゲームによって捉え方が微妙に違うこともあるだろうが、大まかな定義で言えば、物語の『正史』扱いだったり、開発者の意図が記されたものと考えて差し支えない。
では、ベストエンド無いしトゥルーエンドへ辿り着くにはどうすれば良いのか。
大抵は“通常よりも、高い条件が要求される”ということだろう。
恋愛シミュレーションなら好感度が関係するだろうし、昔のシミュレーションRPGなら規定ターンで攻略、とかだろうか。アクションならノーミスクリアが条件というのも見かける。
要は知識とスキル、ジャンルによって比重は違うだろうが、この2つはまず必要になる。
攻略情報無しで初見ではまず辿り着けないだろう。
そういった物語の“核”へ飛び込むゲームはたくさんプレイしてきたが、その中でも一際印象に残っているのが『ヴァルキリープロファイル』だ。
ゲームの内容は後述するが、該当作品には独特の要素を含んでいる。
開発者の用意したエンディングに辿り着く為には、プレイヤーのスキルの高さや知識だけでは不可能で、上手くプレイすることより上手く切り抜けることが必須条件、そして今まで得たものを活かしつつも手放す行為が作用条件である、ということだ。
他にもそういったゲームがあるのだろうとは思うが、その様な経験を初めて味わったのが本作だったから、今回はそんな話をしようと思う。
この先、ヴァルキリープロファイル(以下VP)に関する重大なネタバレがあります。
未プレイの方はご注意下さい。

キャラクターの位置に対応したボタンをタイミング良く押すことで成立するバトルシステムは、今でこそ偶に見かけるが、その始まりはVPだと思っている。
〜枠からこぼれ、外れる〜
VPのストーリーとシステムをざっと説明すると、
地上と神界、2つの世界を舞台に、戦乙女ヴァルキリーがオーディンの命を受ける。
来たるべき決戦の日に備えて地上にて英雄の魂(エインフェリア)を探して神界へ送り、ダンジョンを踏破する地上フェイズと、転送したエインフェリア達の状況を聞かされる神界フェイズの2つに分けられる。
ともすれば機械的なルーティーンだが、難解なダンジョンや歯応えのある敵、そして物語を彩る魅力的なエインフェリア達の生き様により、中弛みすることは無い。

神界フェイズをプレイヤーが直接操作することは無い。
が、むしろ簡素な報告を受ける方が妙にしっくり来るのだから不思議。
そして時間は経過し、最終決戦に突入、そこで神界における戦い―ラグナロク―は決着、エンディングを迎える。
しかしゲーム内における目的を達成しても、主人公であるはずのヴァルキリー(レナス)は中心人物でありながらも、物語における存在感はそこまで大きくない。
出番こそ多いが、それは神界とエインフェリア達を繋ぐ“ヴァルキリーとしての役割”であって“レナス個人”では無い。
身も蓋もないゲームのシステムで言うならば、オーディンの命を忠実にこなし、勝利へ導いた場合は『Bエンド』、つまりノーマルエンディングにあたる。
ベストエンディングは別にあるわけだ。
それはオープニングムービーなり、簡素な終わりで締めくくるBエンドを見れば大抵のプレイヤーは察することができる。
ここでプレイヤーは『Aエンド』と呼ばれるベストエンディングを目指してもう一度プレイすることになるのだが、これがとにかく分かりにくい。
詳細は割愛するが、Aエンドを見るためにはレナス個人に設定されている『封印値』を特定のチャプターで特定の値にまで下げる必要がある。
封印値を下げるには様々な方法があるが、チャプターの関係上タイミングを合わせる必要があり、イベントの起こし方も重要になる。いたずらに封印値下げていけば『Cエンド』、もう分かったと思うがバッドエンディング直行である。
情報無しで自力で辿り着くには、かなりの労力とプレイヤーの経験が必要なのだ。
だが、このAエンドこそ本作のキモと言える。
それはグッドエンディングだからといった理由では無く、取扱説明書やオープニングでオーディンから伝えられたゲームシステムの枠組みから外れているからだ。
Aエンドへの条件を満たしてゲームを進めると、地上は荒廃、神界も焼け野原になってしまう。
主のオーディンは死亡、神界における敵対種族だった巨人族さえもいなくなる。
神界での争いが無くなるのだから、エインフェリアを選抜して神界へ転送する意味は無くなり、VPのゲームシステムは一部機能停止する。
組織のいち歯車でしかなかったレナスは、ここに来て操作キャラクターとしてではなく、本当の意味で主人公として物語を動かしていく。
地上フェイズにてエインフェリア達の生き様が語られた様に、今度はレナスにフォーカスされていく。
『ヴァルキリープロファイル』のタイトルに偽りは無い。
Aエンドに辿り着くことは、ヴァルキリーの使命と引き換えに、レナスが本当に望むものを手に入れるということだ。
神界転送を含めゲームシステムの一部はAエンドにおいて否定されるのは当然の帰結と言える。
〜“上手さ”より“強かさ”〜
Aエンドの持つ意味は上記の通りだが、その条件を要約すると、プレイヤーの目指すものは知らぬ間に浸かっていた組織のしがらみや枠組みにある時疑問を持った時、そこからどの様にして抜け出すのかということに集約される。
自分が理想とする方向へ舵を取る為には、愚直にタスクをこなしても単に反抗しているだけでも不可能だ。
与えられたものを着実にクリアしながらも、それと並行しながら別の手を潜ませ、時には新たな道を模索しておく。そうすると、問題が発生して既存のやり方では解決しないことにも手を打てる可能性が出てくる。

ダンジョンは進めば進むほど、画面も含めて暗さと重さを感じる。
出入り口の明るさの様に“光が差し込んだ”瞬間が訪れる時の興奮は忘れられない。
VPが優れているのはゲームとしての完成度の高さだけでなく、出し抜き方の塩梅を間違えない様に状況を見極めていくことで、システムの枠組みから飛び出し新たな展開が生まれるという、現実にも通ずる要素が多分に含まれている点も見過ごせない。
神の世界で人と異なる力を授かったとしても、現状を簡単にひっくり返せるほど個人の力は強くは無い。
けれど、個人の働きが現状を動かし、立場ある者の思惑さえも超える出来事が待っていたりもする。
ここが面白さでもあり、恐ろしさでもあると思う。
〜プレイングに疑問と、反抗心を〜
ここまで書いて何だが、当時でもやはり自力でAエンドに辿り着いた人は幾らでもいた。
何度もプレイしていくと何でここまで命令されなきゃならんのだという気持ちが唐突に湧いてくる。
アーティファクト(オーディンの貢物)は装備品のアイコンが名称の横に記載されているし、神界関係者は意味深な事を言う上に胡散臭い。
その内にアーティファクトをパクって攻略に役立ててみたり、一部関係者の言い分を無視してみる。
アーティファクトのおかげで攻略は楽になることに気付くと、更に幅を広げてアレコレ試したくなる。
序盤にスポット参戦するフレイ(記事上部の緑色の服を着た女性)なんて、初期装備の武器を外した方が使いやすいくらいだ。そんな具合に気付くことが増えると、もう止まらない。
こっちもこっちでやらせてもらうとばかりに、本筋と関係無い箇所へ足を運んでみたくなる。
そして痛い目を見るのもご愛嬌。
だから、ゲームシステムに疑問を持ち、真実へ進もうとすればするほど、プレイヤーもレナスも組織の在り方から遠ざかっていく。
VPは既存の在り方を手放すことでゲームをプレイし尽くせる設計になっている。そしてその遊び方こそが真骨頂なのだ。
疑問と反抗、そして思惑からの脱却を始めた時、初めてプレイヤーはレナスを見つめることができる設計になっているのが本当に面白い。
僕の持論なのだが、ベストエンドやトゥルーエンドは開発者が用意したものに過ぎない。
納得いかなければ別のエンドを自分の『正史』として迎え入れても良いと思っている。それを周りに言わなければ問題は起きないだろう。
だからこそ敢えて文に起こすが、VPの開発者が用意した真実であるかは問題にならない。
僕にとってAエンドは自身が迎え入れた『正史』として扱っているのだから。